言葉は真実を伝えるか?  

私達真言宗は、真実を伝える言葉があると信じ、真言をお唱え致します。
果たして、言葉は真実(悟り)を伝えうるでしょうか?
 
「ここにペンがあります。」
この言葉を聞いた皆様は、ペンを頭の中で思い浮かべるでしょう。更に言葉を積み重ねます。「赤色」「短い」「太い」「水性」「一本」。
言葉を重ねれば重ねるほど、ペンは具体化されはっきりとその姿を容易に想像できるようになりました。言葉とは、物事を区別させ差別させ具体的にその個体を限定付けます。言葉があることで、世界は複雑化、分節化されているといっても過言ではないでしょう。また、体験を言葉で表そうと多くの語彙を使い上手に相手に聞かせたとしても、完璧にその体験を伝える事は出来ません。悟った者がいくらその体験を伝えたとしても、弟子たちは完璧に理解し得るでしょうか?
 このように考えると言葉には限度があるように思えます。
それでは、最初の話に戻りましょう。初めに想像された単なる「ペン」。言葉によって限定に限定を重ねられた「ペン」。どちらも結局は根本的にはペンなのです。たしかに当たり前な話ですが、私達真言宗はこの根本的なペンを「大日如来」という仏様だと考えております。そして限定に限定を重ねたペンを、この世のすべての物事と考えます。つまり、人であろうと、鬼であろうと、仏様であろうと、道端に転げ落ちている石ころであろうと、言葉で限定づけられたものであって、根本、元を辿っていくと大日如来に行きつきます。ですから、私達人間も大日如来であって、すべての根源とされる大日如来が話される言葉は真実(悟り)に違いありません。
美辞麗句を並べ立てた言葉ではなく、真実の言葉、大日如来のお言葉を真言といいます。日々真言を唱えることで私たちが真実に近づくよう日々精進努力していくのです。