『法華経』に火宅のたとえというものがある。

大富豪の邸宅がある日火事になった。出口は一つしかなく、邸宅の中には、子供たちがおり、遊ぶことに夢中になって、父親が出て来るようにいっても一向に耳を傾けない。父親は、言い方を変えてみた。「外には面白いものがある。ヒツジやシカやウシに引かせた車がある。早く出てきてこれで遊ぶがよい。」この言葉に釣られ出てきた子供たちを無事に救助することができたという話。

釈尊も人をみて話す言葉を巧みに変化させ説法(対機説法)したように、最終的な悟りというゴールへ誘うには嘘も方便である。

自分の価値観に合わないことを懸命に説いても、相手に伝わらなければ意味がない。相手の価値観に自分が合わせていく事も、時には大切であろう。