自灯明、法灯明

お釈迦様が亡くなられるとき、最後に説かれた教えに「自灯明、法灯明」という教えがあります。
お釈迦様は、自分が亡くなった後は弟子たちに「自灯明」つまり、己自身を灯火として生きていきなさい、また、「法灯明」仏の教えを灯火として生きていきなさいと言い残しました。

 「自灯明」とは、ただやみくもに何かを信じるのではなく、自分の意志を大事にして生きていくことです。お釈迦様は人間の体は少しずつ衰えていくが、人間の心は修行によって少しずつ進化することができると仰っています。自分自身の心を見つめ、心の状態を引き起こしている原因を考えることによって、心を高めていくことはできると仰っています。
また、「法灯明」とは、仏つまりお釈迦様の説いた教えを灯火として生きていく と言う事ですが、一方で、教えにとらわれてもいけないとお釈迦様は仰っています。お釈迦様はこのことを「いかだの教え」という例えで説いています。

 ある旅人が、目的の町まで行くのに川を渡ろうとしていました。旅人は川を渡るためにいかだを作ろうとしていました。旅人はいかだを作るのにとても苦労をしましたが、なんとかいかだを作り、川を渡ることができました。さて、旅人は苦労して作ったいかだを目的の町まで持っていくでしょうか?それとも、せっかく作ったいかだをそこに置いたままにしていくでしょうか?仮に、旅人がいかだを町まで持って行ったとして、途中でいかだの重さに耐えきれず町にたどり着く前に力尽きてしまうかもしれません。わざわざそんな危険を冒すでしょうか?
ここで川の向こう側とは「彼岸」の例えです。「彼岸」とは悟りの世界のことです。また、いかだは「教え」をあらわしています。つまり、悟った後も「教え」を大事にしてそれに執着すれば目的を達成することができない、「教え」そのものにも執着してはいけないという例えです。

私たちは、普段いろんなことに執着しています。お釈迦様は執着をせずに生きていくことが、人間が生きて行く為に必要なことだと教えてくれているのです。