
今月の法話
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法話 1月
―おのれに勝つ事は、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である―
―法句経―
おのれ=自己というのは、私達が認識し、意欲し、行動する主体となるものです。
要するに、真実の自分自身の事でありますがそもそも、自分自身というのは、いつも欲望や執着心等に左右され、きわめてコントロールがしにくいものではないでしょうか。
自分自身の事が良く分かっているつもりでも実は分かっていなかった、と感じる事があると思います。
欲望や執着心、また様々な感情に負けて、自分を見失ってしまったという時もあるでしょう。
日々、色々な事柄が入り混じっているこの世の中では、自己を知り、「おのれ」に勝つ事はとても難しいと思います。
しかしこのような欲望、執着等の誘惑を退け、なかなか制御出来ないおのれに打ち勝ち、善い事を行える人は、一千万の敵に勝つよりも立派な勝利者だといえます。
おのれに勝つには、まず自分自身をよく知る必要があると思います。
晩年のブッダ釈尊は弟子達に「他人をたよりとせず、自己をたよりとして生きなさい」と教え諭したそうです。
これはもちろん、欲望や執着にまみれた自己ではなく、そのようなものに左右されない「真実の自己」の事です。
あらゆる誘惑、欲望、感情に振り回されず自己を見つめなおすしながら過ごす、これが自分を知る事に繋がり、そして己に勝つという事に繋がってくるのだと思います。
おのれに勝ち過ごすという事は、未だに収束が見えないこの状況の中、最も大事になってくるのかもしれません。
法話 12月
人身(じんしん)受(う)け難(がた)し今(いま)既(すで)に受(う)く。仏法(ぶっぼう)聞(き)き難(がた)し今(いま)既(すで)に聞(き)く。比(こ)の身(み)今生(こんじょう)に度(ど)せずんば、更(さら)に何(いず)れの生(しょう)に於(お)いてか此(こ)の身(み)を度(ど)せん。大衆諸共(だいしゅうもろとも)に至心(ししん)に三宝(さんぼう)に帰依(きえ)したてまつる。
「人身受け難し」とは、私という存在がこの世に生を受けた不思議を表しています。地球上だけでも、無数の生物が存在し、それぞれの生を営んでいます。
この全生物のそれぞれの生も、とても不思議な成り立ちをしています。その中で私たちは人間として、今ここに生きていることは不思議のきわみです。脈々と続いてきた先祖の一人一人の生も不思議ですが、その生の一つが欠けても私の今ここでの生はないはずです。
今ここに生きていることは無数の縁が不思議に結びついた結果です。偶然の産物ではありまあせん。普段は自分で生きているように思い、過去から続く命の流れと、自分をとりまく命の繋がりを意識できずにいますが、自分が生まれようとして生まれたわけではないこの人生は、誕生からして大いなる奇跡です。それはまさしく「人身受け難し」というほかはありません。
さらに人間として生まれることさえ奇跡なのに、私たちは有り難(がた)くも仏の教えに出会えたのです。人として生まれても多くの人は仏の教えに出会うことができません。私たちが仏の教えを聞くことができるのも、誠に幸運というほかはありません。それを「仏法聞き難し今既に聞く」という歓喜の表現で述べています。
そして、こう続きます。「この身今生に度せずんば、更にいずれの生に於いてか此の身を度せん」今ここで生きている間に御仏に救われなければ、一体、何度生まれ変わったら救われることができるのでしょう。まさに今、御仏に出会い、教えを受けとめ、輪廻の苦から逃れたいという痛切な願いが唱えられています。
そしてこの強い思い、願いは自分だけにとどまってはなりません。それが、「大衆諸共に」という言葉に凝縮しています。
「大衆」とは信心を同じくする僧伽の修行僧の仲間という意味です。しかし、そこには同じ僧伽に関わるすべての人々という意味も込められます。さらに広げると、生きとしいけるもの全てになります。
世界的なコロナ禍による様々な影響により、私達の状況・生活の仕方が大きく変わってきている今。どのような時でも、今ある命の有難さを感じながら、命のバトンを未来へと繋いでいきたいものです。