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法話
2024/09/25
秋のお彼岸も過ぎ、朝晩が過ごしやすくなり、秋本番を感じる季節となりました。
「暑さ寒さも彼岸まで」です。暑い夏が終わり、秋は収穫の時期になります。
日本人は、元々農耕民族でもありますので、冬には春先(種まき)の準備を行い、春には田畑を耕し種を撒き、夏の暑い日々に汗水を流し作業に励み、ようやく迎えた秋の収穫に感謝し、そしてまた訪れる冬の厳しい時期に備えてきました。
連綿と紡がれてきた日本の豊かな四季の流れ。「春・夏・秋・冬」を人の一生に例える人もいますが、仏教の教えの中にある「因・縁・果」の法則に譬えみることはできないでしょうか。
厳しい冬の中で春への備えを行い、そして草木が芽吹く頃に行う種蒔きを「因」とします。梅雨の雨と強い夏の日差しを「縁」として、その中で少しでも実り多きようにと一所懸命に作業をします。日々すくすくと育つ作物に愛情を込めて、そして豊な秋の実りを迎える「果」ことができます。
その秋の実りを元にして、再び厳しい冬の備えをして、春に種を蒔き、夏の恵みを受けて、実りのをいただく事ができます。
もちろん、この間には自然災害をはじめ、様々な出来事が起こるでしょう。大雨や台風で折角の実りが全滅してしまう事もあります。思い掛けない事が起こる事もあるでしょう。けれどもそのような中であっても、自分ができる事を淡々と継続する事「因」が大切なのではないでしょうか。
もちろんそこに周りの協力があれば、さらに力強いでしょう。
そしてその「因」を持ち続ければ、「縁」(チャンス)が巡ってきて、それがやがて「果」を頂く事ができるのではないでしょうか。
もし、冬から春にかけての「因」を怠ってしまったらどうでしょう。いくら成長するための「縁」があっても、実り多い「果」を得る事が難しいでしょう。厳しい冬の間に行う、春へ向かう為の備え・準備が肝要なのです。
「因」を「想い・意思・行動」とすると、因に応じて現れる「縁」は「環境・機会・眼に見える現象」に、その因と縁が合わさり「果」が生じます。
この「因・縁・果」の流れを、私達は普段余り意識する事がありません。けれどもそれは、脈々と受け継がれてきた「命の流れ」でもあります。
仏教の教えの中に、「人身受け難し(じんしん、うけがたし)」という言葉があります。
これは、「私」という存在がこの世に生を受けた不思議を表しています。地球上だけでも無数の生物が存在し、それぞれの生を営んでいます。
この全生物それぞれの生も、よくよく観てみると、とても不思議な成り立ちをしています。その中で私たちは人間として、今ここに生きていることは、正しく不思議の極みでもあります。
今ここに生きていることは無数の「縁」が不思議に結びついた結果です。偶然の産物ではありまあせん。それはまさしく「人身受け難し」というほかはありません。
良い「果」が実るために、良い「因」をしっかりと撒けているか、そして周りのお蔭である「縁」に気づき、縁に生かされ、縁を生かしきれているかを今一度省みられて下さい。
そして、まだ充分な事ができていないと感じられる時は、改めて想い「因」を見直されて、行動(種蒔き)してみて下さい。
仏教は日常の中にあります。実際に行われなければ、仏教が仏教にならないのではないでしょうか。
日々、少しずつ少しずつでも良い方向へと進んでいけたらと思います。
合掌