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人身(じんしん)受(う)け難(がた)し今(いま)既(すで)に受(う)く。
仏法(ぶっぼう)聞(き)き難(がた)し今(いま)既(すで)に聞(き)く。
比(こ)の身(み)今生(こんじょう)に度(ど)せずんば、更(さら)に何(いず)れの生(しょう)に於(お)いてか此(こ)の身(み)を度(ど)せん。
大衆諸共(だいしゅうもろとも)に至心(ししん)に三宝(さんぼう)に帰依(きえ)したてまつる。


「人身受け難し」とは、私という存在がこの世に生を受けた不思議を表しています。地球上だけでも、無数の生物が存在し、それぞれの生を営んでいます。

この全生物のそれぞれの生も、とても不思議な成り立ちをしています。その中で私たちは人間として、今ここに生きていることは不思議のきわみです。脈々と続いてきた先祖の一人一人の生も不思議ですが、その生の一つが欠けても私の今ここでの生はないはずです。

今ここに生きていることは無数の縁が不思議に結びついた結果です。偶然の産物ではありまあせん。普段は自分で生きているように思い、過去から続く命の流れと、自分をとりまく命の繋がりを意識できずにいますが、自分が生まれようとして生まれたわけではないこの人生は、誕生からして大いなる奇跡です。それはまさしく「人身受け難し」というほかはありません。

さらに人間として生まれることさえ奇跡なのに、私たちは有り難(がた)くも仏の教えに出会えたのです。人として生まれても多くの人は仏の教えに出会うことができません。私たちが仏の教えを聞くことができるのも、誠に幸運というほかはありません。それを「仏法聞き難し今既に聞く」という歓喜の表現で述べています。

そして、こう続きます。「この身今生に度せずんば、更にいずれの生に於いてか此の身を度せん」今ここで生きている間に御仏に救われなければ、一体、何度生まれ変わったら救われることができるのでしょう。まさに今、御仏に出会い、教えを受けとめ、輪廻の苦から逃れたいという痛切な願いが唱えられています。

そしてこの強い思い、願いは自分だけにとどまってはなりません。それが、「大衆諸共に」という言葉に凝縮しています。
「大衆」とは信心を同じくする僧伽の修行僧の仲間という意味です。しかし、そこには同じ僧伽に関わるすべての人々という意味も込められます。さらに広げると、生きとしいけるもの全てになります。

世界的なコロナ禍による様々な影響により、私達の状況・生活の仕方が大きく変わってきている今。どのような時でも、今ある命の有難さを感じながら、命のバトンを未来へと繋いでいきたいものです。

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