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亡くなった方を弔うご葬儀

成田山久留米分院では、今年の6月に納骨堂を全面改装後、多くの方がご加入されています。元々御祈願・御祈祷の寺院ですが、ご加入された方のご家族のご葬儀を執り行わせていただく事も増えてまいりました。
人に限らず、この世界に生あるものとして生まれたら、そこには必ず「死」というものがあります。生きとし生けるもの全てに、平等に「死」は訪れます。何か大変な状態に陥ったりすると、「四苦八苦」という言葉がよくつかわれますが、これは本来、釈尊が生の現実を見つめられ、「苦」という事を説かれた事からきています。

四苦八苦

四苦とは、生(しょう)(生まれる)・老(老いる)・病(病む)・死の四苦が最も大きなものであり、次に、愛別離苦(あいべつりく・・・愛するものとの別れ)怨憎会苦(おんぞうえく・・・怨(うら)み憎むもの、嫌な事と出会わなければならない)、求不得苦(ぐふとっく・・・求めても得られない)、五蘊盛苦(ごうんじょうく・・・身体・感覚・概念・心で決めたこと・記憶に執着することで起こる苦しみ)の四つがあげられ、合わせて四苦八苦になります。
四苦八苦のなかでも、私達が一番避けたいけどさけられないのが、四苦の「死」です。この文字は、歹(白骨)と匕(ひざまずく人)を表す文字になります。つまり死という文字は、亡くなった方と生きている者の二つで一つの文字になります。これは、この世での生を終えられた方への悲しみ・哀悼の意味ももちろん含まれますが、その事に向き合い、自心に問いかける、生命というものに真剣に向き合う姿も表すのではないでしょうか。


葬儀 弔い

さて、亡くなった方を送る儀式が葬儀になります。葬儀を「弔う」ともいいますが、この弔うという文字には、古語にさかのぼると、「訪ねる」「尋ねる」という意味もあります。亡くなった方との思い出を振り返ると、自分自身を省みている事に気づきます。
私たちは死なないつもりで生きているのではないだろうか?当たり前のように生きていることに慣れ、同じような日常が繰り返しやってくると疑うこともなく日々を過ごしている自分。けれども、最愛の大切な人との別れは、つらく深い悲しみと同時に、その当たり前が、当たり前でないという事を気づかせてくれるのではないでしょうか。

今年成田山久留米分院では、多くの方の御志納・ご支援を受けながら、救世慈母大観音様のお化粧直しを行いました。各地に「観音巡り」がありますが、観音様は、「三十三観音」ともいい、様々なお姿で私達を導いて下さるといわれます。慈母大観音様は、赤子(生きとし生けるもの)をその胸に抱かれているお姿で、私達に安らぎと大慈大悲(生きとし生けるものに楽を与えたい・苦を取り除いてあげたい)を与えて下さいます。
大切な最愛の方が亡くなることは、受け入れ難いとてもつらく悲しい事です。ですが、その方の「死」という事により、私達遺された者が今ある命を省みる、「生死」を「尋ねる」ことができるなら、観音様が亡くなった方にお姿を変えて、私達を教え導いて下さっていると考えることはできないでしょうか。一瞬一瞬の命を大切にしていきたいものです。

合掌

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