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青葉祭


毎年6月15日には、真言宗の各地の寺院で、真言宗宗祖弘法大師がご生誕をお祝いする法要が行われます。今年は弘法大師がご生誕されて1250周年の年にあたり、真言宗各本山・寺院では、慶讃事業が行われています。
15日は、当山で御縁日にも当たり、真言宗の宗祖・弘法大師空海と中興の祖・興教大師覚鑁のご生誕を祝う「青葉祭誕生会大護摩供法要」を厳修致します。
弘法大師のご生誕は宝亀5年(774年)6月15日、興教大師のご生誕は嘉保2年(1095年)6月17日になります。ちょうどお二人が生まれた六月が緑の美しい季節でもあるので、「青葉祭」と呼ばれるようになりました。

当日ご縁日に御参詣の方は、4月の花まつりと、6月の青葉祭のみに行っている「お内陣参拝」をしていただきます。
お内陣参拝には、護摩木投入(お名前を書いた護摩木をご自身で護摩の炎に投入していただく)事と、お手綱参拝(御本尊不動明王様の左手の羂索から五色の紐を繋いで、それに触れていただく事により、御本尊様とつながります。)があります。又、コロナ禍で自粛をしていました、大きな念珠を参詣者の皆様が一緒になって繰る「百万遍念珠」が行われます。
当日は、「健康長寿」の元でもある「薬湯」もご準備しております。ご入用の方は、ペットボトルをご持参下さい。

さて、弘法大師は多くの著書をあらわされて、真言密教の教えを広められました。その一つ「秘蔵宝鑰」の中にはこのような言葉があります。
「我が心、自ら証すのみ」
私達は、自分の事は自分が一番わかっているように思っています。けれども本当にそうでしょうか。よく、「こころは氷山のようなもの。表に現れているのはほんの一部で、ほとんどが奥深くに隠れている」と言われています。日常の中で意識しているのは、ごく一部の表層で、その奥には深層意識があるといわれます。私達は、先祖代々から連綿と続いてきた命の流れの中にいます。
肉体は遺伝・DNAを受け継いでいますが、深層意識の中にも同じように受け継がれてきた思いを引き継いでいるのではないでしょうか。或いは過去世と呼ばれる命の中で体験したものが脈々と流れているのではないでしょうか。

よくよく自分の心を観察すると、お釈迦様が四諦(したい)の中であきらかにされた、苦諦(くたい)・集諦(じったい)の燃え盛る業火のような心から、御仏様の心の片鱗のようなものも観ることができます。

弘法大師は「般若心経秘鍵」の中で、「仏法遙かに非ず。心中にして即ち近し」と説かれています。これは、簡単にいうと、「仏の教えは遥か遠くにあるものでは無い。それは心の中にあり、とても近いものだ」という意味になります。自分の心を知るという事が、御仏様の教えを知るという事になるのです。

今、悩み・苦しみ・苦海の中にいたら、「自分のどこに仏の心があるのだ」と思うことでしょう。大病を患ってたり、愛する方を亡くし哀しみの中にある時、後悔や絶望感などのやりきれない感情の中に、心の中に「仏法」を観る事は難しいかもしれません。

私達は、どうしたら自分の心の奥底にある扉を開き、本来の心に立ち返ることができるのでしょうか。
もちろん、御仏様・聖人方はその為の教えを説かれています。私達の周りにも、道しるべ・ヒントを示して下さる方はいます。ですが、それを受入れて、自分の中でよく咀嚼をして、自心を見つめ直す事ができるかできないかは、自分自身にかかっています。譬えると、薬を処方したところで、患者さんが薬を飲まないのと同じかもしれません。

時々、治癒することが難しい病の中にいても「この病気のお蔭で、家族の大切さを知る事ができた。」や、「この病気になったから、命の有難さがわかった。」とお話しされる方がいます。
もちろん、病気に対しての考え方は人それぞれです。重い病にいる方にとっては、負の感情の方が大きいのは普通の事であります。けれども、その病に「有難う」と感じる方がおられるのも確かです。

「性霊集」の中に、「諸仏威護して一子の愛あり」という言葉があります。
この言葉は「全ての仏様は生きとし生けるものに対して、まるで親が我が子へ愛情を注ぐように接してくれる」という意味です。
先程の「仏法遥かにあらず」からいいますと、私達の心には、諸仏が私達に注がれている愛情と同じ命が流れているのではないでしょうか。
もしかしたら、嫌な事・避けたいこと・辛い事の中であっても、「有難う」と感じれる方は、その経験の中で、この流れている命からあふれてくるものに触れる事により、感じる事によって、想いや考えに少しずつ変化があったのではないでしょうか。

生活の中での「反省と感謝」
固く枯れた地面に種を撒いても、実りはありません。けれども柔らかく、肥えた地へ撒かれた種は、やがて大きな実りとなります。心も同じです。お釈迦様は、心を「田」に譬えられました。自心を「反省」という「鍬」で耕し、「感謝」という「肥料」を与えてみて下さい。
興教大師覚鑁上人は、「内観の聖者」とも呼ばれています。覚鑁上人が著された「密厳院發露懺悔文」の中に、このような一文があります。
「乃至法界の諸の衆生 三業所作の此の如くの罪  我皆 相代って尽く懺悔し奉る 更に亦その報いを受けしめざれ。(自らの行い、言葉、心の働きによって生じた罪を、私はすべての人に代わって懺悔いたします)」
そのご生涯の中で重ね続けられた瞑想・祈りの中で、自心の中に何を観ておられたかを、私達が推し量る事は容易ではありませんが、心の奥底に流れている「諸仏威護して一子の愛あり」を感じておられたのではないでしょうか。

どうぞ6月15日には青葉祭にご参詣されて、弘法大師様・興教大師様、そして成田山御本尊不動明王様をお近くに感じられて下さい。

合掌

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