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春のお彼岸
間もなく、「春のお彼岸」です。お彼岸は春と秋に7日間ずつあります。
その中日は春分の日・秋分の日といって、太陽が真東から昇り真西へと沈むといわれます。太陽が真西に沈むのに因んで、昔の人々は阿弥陀如来の西方浄土に向かって手を合わせてきました。
春分の日・秋分の日は、この世(此岸)とあの世(彼岸)が通じやすい日と考えられ、御先祖様を偲ぶ日、来世を偲ぶ日となりました。
また、大切な仏教行事の一つとして、この時期各寺院では(宗派により異なりますが)、お塔婆をたてて御先祖様・亡き御霊の御供養を執り行っています。
令和6年の春のお彼岸は、3月17日が彼岸入り、20日の「春分の日」が中日、23日が彼岸明けになります。お彼岸は、印度から伝わった仏教と日本の祖先崇拝が融合したものともいえます。

命の繋がりを感じる
さて、普段私達は今あるこの「命」というものを、余り意識せずに生きてるのではないでしょうか。しかしそこには、脈々と受け継がれてきた「命のバトン」ともいえるものがあります。私達を生んでくれた父母があり、その父母それぞれに父母がいて、その先には数えきれないご先祖様がおられます。どれくらいのご先祖様がおられるのか、少し遡ってみましょう。
父母が2人、祖父母が4人、曾祖父母は8人、その上の代は16人、さらにその上は32人となります。さらに遡りますと、6代前は64人、7代前は128人、8代前は256人になります。一世代を約30年としますと、8代前は江戸時代中期になります。
このくらいまではまだなんとなくイメージできるのではないでしょうか。これをさらに遡りますと、10代前は1024人と千人を超えます。20代前になると、100万を優に超えてしまい、30代前には、数億人という膨大なご先祖様がおられた事になります。
私達があるのは、とてつもなく多くのご先祖様が、今を生きる私達と同じように、その時・時代を懸命に生きておられたお蔭なのです。そしてもし、この中のお1人でも欠けていたら、今の私達は存在する事はできません。私達はその遺伝子DNAを受け継いでいます。
毎日の生活で私たちは、楽しいことだけでなく辛いことなどもたくさんの経験をする事が出来ます。
そういったすべてのことを経験できること、この世に生を受けることが出来たのは、たくさんのご先祖様のおかげであると気づかされた時、ご先祖様への感謝の念は決して絶えることがありません。
この感謝の気持ちを形に表したものがご先祖供養なのです。
また、お彼岸はご先祖様(水子様)・故人様へのご供養だけでなく、仏教の教えに従って精進すべき時期ともされています。

彼岸という言葉の意味
「彼岸(ひがん)」という言葉は、元々古代インドの言葉(サンスクリット語)で「パーラミータ(悟りの彼岸に到達する)」を指し、これを音訳したのが、波羅密多(はらみた)です。彼岸に到る、すなわち悟りの世界~仏の世界に到るということになります。
具体的なその手立てを教えているのが、彼岸(パーラミータ)です。
仏の世界、極楽浄土というと、亡くなった後の世界のように思われますが、「彼岸」「パーラミータ」は、今生きている私達にとっても、とても大切なものではないでしょうか。
仏教には、「心の三毒」という言葉があります。三毒とは、「むさぼりの心、怒りの心、愚かな心」です。この三つは、全て自分が中心という思い・考えたから生まれます。
少し心の中を観てみると、周りの環境に対する思い、考え方に、この三毒がうごめいているのがわかります。
そのような心を戒め、悟り(命の実相)の世界へ渡るために一歩でも近づくようにするのが、お彼岸のもつもう一つの意味です。

その為の仏教で代表的なものが、六波羅蜜(ろくはらみつ)です。
六波羅蜜の教え
○布施(物でも心でも施したい)
○持戒(心を戒め、決まりを守りたい)
○忍辱(耐えしのびたい)
○精進(何事にも全身全霊を傾けたい)
○禅定(心静かに物事を深くみつめたい、素直な謙虚な気持ちになる)
○智慧(こころの眼を開きたい 物事の捉え方考え方を変える)

この六つは、日常生活の中で行っていけるものです。自分の思い・考え方の「軸」を、三毒の心から六波羅蜜の心へ少しずつでも変えていく事、素直な謙虚な心に立ち返って、自己を見つめ直す事が、この世界に生きている私達にとっての、お彼岸の意味ではないでしょうか。
どうぞこの時期、今ある自分は、ご先祖様から連綿とつづく命により、そして家族をはじめ様々なご縁の繋がりにより生かされているという事を考える機会の一つとして、そして、心の軸を三毒から波羅蜜へと変えていくきっかけとされて下さい。

合掌

  

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