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法話
2024/05/24
各地で日中は真夏日となっています。場所によっては気温が30度を超す所もあります。梅雨入りした地域もありますが、これから雨が多くなってくると、災害も心配されます。体調管理と、災害への備えに気をつけていきたいものです。
青葉祭
さて。6月15日には「青葉祭」と呼ばれる、真言宗では大切な法要が、各本山をはじめ、各寺院で行われます。
15日は当山では御縁日にあたり、真言宗の宗祖・弘法大師空海と中興の祖・興教大師覚鑁のご生誕を祝う「青葉祭誕生会大護摩供法要」を厳修致します。
弘法大師のご生誕は宝亀5年(774年)6月15日、興教大師のご生誕は嘉保2年(1095年)6月17日になります。
ちょうどお二人が生まれた六月が緑の美しい季節でもあるので、「青葉祭」と呼ばれるようになりました。
当日は、年に2回のみ行っている「お内陣参拝」に続いて、日本一大きなお念珠を用いて百万遍の数珠繰りを行い、皆様と共に「健康長寿」をご祈願します。
お内陣参拝とは、護摩木投入(お名前を書いた護摩木をご自身で護摩の炎に投入していただく)事と、お手綱参拝(御本尊不動明王様の左手の羂索から五色の紐を繋いで、それに触れていただく事により、御本尊様とつながります。)になります。
また、本年も「健康長寿」の元「薬湯(くすりゆ)」をご準備しております。ご参拝時に頂かれて、健康をお祈り下さい。
弘法大師
さて、今を遡る事1200年以上前、弘法大師は当時最新の仏教であった「密教」を中国から日本へ伝えられました。そしてその教えを説かれた真言宗のご開祖様でありますが、密教のほかにも、実に多くのものを日本へ持ち帰られました。
その中には現代私達が食している「小麦や唐辛子」、そして弘法大師のご生誕地でもある讃岐(香川県)の名物でもある「うどんの製法技術」などもあります。
他にも、土木技術などもあります。当時毎年のように堤防が決壊して、氾濫を起こしていた香川県の満濃池の改修工事に使われた、「アーチ構造」は現在でも広く使われています。
さらに、日本初になる「庶民」の為の教育機関として、「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」を京都に創設されました。
弘法大師は宗教家という枠にとどまらず、優れた社会事業家でもありました。
弘法大師と御母公
さて、三面六臂の活躍、いえそれ以上のものを今現在の私たちに遺して下さり、今も私達を「同行二人」でお導き下さっている弘法大師ですが、そのお人柄を垣間見る為、お大師様と御母公の玉依御前(たまよりごぜん)のお話しをご紹介します。
お大師様が高野山を開かれたという話しを聞いた玉依御前は、「我が子の開いていた御山(高野山)を一目見たい」願われました。そして当時82歳というご高齢でしたが、お大師様の御生誕地である現在の香川県善通寺から、和歌山県の高野山へと向かいました。
現代のように交通機関が発達しているならまだしも、当時の状況を考えますと、御母公にとっては、大変なご苦労があったでしょう。それでも、我が子の活躍を見たい、我が子に会いたいという想いの方が遥かに強かったのでしょう、
慈尊院と御母公
修行者を律するためにも、当時の高野山は女人禁制でした。そのため、お大師様はやむをえず、御母公を山麓にある慈尊院で迎えられました。
慈尊院は、お大師様が高野山を開創した時に、参詣の表玄関として創建されたお寺になります。慈尊とは、未来仏の弥勒菩薩の別称になります。
現在も「女人結縁寺」として知られる慈尊院は、「子宝、安産、育児、授乳、病気平癒」を願って、「乳房型絵馬」を奉納して祈願をする方が絶えません。
九度山の由来
さて、慈尊院に居る御母公を、お大師様は月に九度は必ず高野山上より二十数キロもの山道を下って尋ねられたといわれます。
御母公がお大師様を想い、高野山へ足を運ばれたように、お大師様が常日頃抱かれていた、御母公への深い恩・想いを感じる事ができます。
お大師様が月に9度も御母公を気遣って尋ねられことから、この地名は「九度山」と称されるようになりました。
子である弘法大師を思う玉依御前の愛情、そしてお大師様の温かいお人柄が伝わってくるお話しです。
恩の思いを広げる
又弘法大師は、そのご生涯を通じて、多くの書物を著されました。その一つ「性霊集」の中で、恵眼をもって観ずれば、一切衆生は皆これ、わが親(しん)なり」と説かれています。
これは、智慧の眼で観れば、生きとし生けるものはすべて、自身の親のように親しい存在ということです。
又、曹洞宗のご開祖である道元禅師は「一切衆生斉しく父母の、恩のごとく深しと思うて、作す所の善根を、法界にめぐらす。」と説かれました。
今ある自分を深く省みて下さい。自分の生命を知り、家族をはじめ、自分が住んでいる町・社会の仕組み、自然の恵みを知れば知るほど、普段は意識できているいないに関わらず、沢山の恩恵の中で生かされているという現実が観えてきます。
また、次のような一文があります。「諸仏威護して一子の愛あり」
この言葉は「御仏様は生きとし生けるものに対して、まるで親が我が子へ無償の愛情を注ぐように接して下さっている」という意味です。同じような言葉は、様々な教えの中に見ることはできます。
ある人は、「大いなるものに導かれている。」と表現する方もおられます。
もし今、悩み・苦しみ・苦海の中にいたら、「この苦しみのどこが愛情なのか。」と思うことでしょう。
大病を患い、愛する方を亡くし哀しみの中にいる時、後悔や絶望感などのやりきれない感情の中で、「諸仏威護して一子の愛あり」を感じる事は難しいかもしれません。
けれども、この真実は知識ではなく、心に深く落とし込む事によって、又は、あるきっかけによって心の底から湧き上がってくるものではないでしょうか。
例えば時々、治癒することが難しい病の中にいても、「この病気のお蔭で、家族の大切さを知る事ができた。」や、「この病気になったから、命の有難さがわかった。」とお話しされる方がいます。
もちろん、病気に対しての考え方は人それぞれです。重い病にいる方にとっては、負の感情の方が大きいのは普通の事であります。けれども、その病に「有難う・有難い」と感じる方がおられるのも確かです。
もしかしたら、嫌な事・避けたいこと・辛い事の中であっても、「有難う」と感じれる方は、その経験の中で、命の奥底からあふれてくるものに触れる事により、感じる事によって、想いや考えに少しずつ変化があったのではないでしょうか。
生活の中での「反省と感謝」
固く枯れた地面に種を撒いても、実りはありません。けれども柔らかく、肥えた地へ撒かれた種は、やがて大きな実りとなります。心も同じではないでしょうか。お釈迦様は、心を「田」に譬えられました。自心を「反省」という「鍬」で耕し、「感謝」という「肥料」を与えてみて下さい。
興教大師覚鑁上人は、「内観の聖者」とも呼ばれています。覚鑁上人が著された「密厳院發露懺悔文」の中に、このような一文があります。
「乃至法界の諸の衆生 三業所作の此の如くの罪 我皆 相代って尽く懺悔し奉る 更に亦その報いを受けしめざれ。(自らの行い、言葉、心の働きによって生じた罪を、私はすべての人に代わって懺悔いたします)」
そのご生涯の中で重ね続けられた瞑想・祈りの中で、自心の中に何を観ておられたかを、私達が推し量る事は容易ではありませんが、心の奥底に流れている「諸仏威護して一子の愛あり」を感じておられたのではないでしょうか。
どうぞ6月15日には青葉祭にご参詣されて、弘法大師様・興教大師様、そして成田山御本尊不動明王様をお近くに感じられて下さい。
合掌